「宮城宣教ネットワーク」今後の展望

宮城宣教ネットワーク代表/塩釜聖書バプテスト教会牧師 大友幸一

3月の東北希望の祭典、東日本大震災追悼記念礼拝は祝福のうちに終えることができました。このイベントは被災地における宣教活動のスタートと見るべきでしょう。

東日本大震災はこの地に住むキリスト者と教会に、宣教の可能性を明らかにしました。農村漁村における宣教の困難さは東北の田舎においては周知のことです。その中でも異文化の中に入ったキリスト教会や伝道者は、そこでの人間関係作りにかなりの時間を使うことになります。10年、20年とかかってようやく認知されるという程度のものです。ところが、今回の大震災によって大きな被害を受けた人々は、はじめキリスト教関係の支援物資やボランティアに対して抵抗があったようですが、彼らの誠意ある支援に対して次第に心を開くようになりました。そして今では多くの人々がキリスト教を好意的に見るようになっています。震災前のキリスト教への無関心は嘘のようです。長い期間かからなければ出来なかった未信者のキリスト教への関心や信頼や好意を1年足らずで達成できたのです。

でも安心することはできません。被災地での生活が落ち着くに従って、彼らの心は震災前に戻ってしまうかもしれません。戦後のキリスト教ブームが日本の経済発展と共に去っていったように、被災地においてもキリスト教への関心が失われてしまう可能性があります。

ですから、今からが大切な時期になります。これからの一年間は伝道していかなければなりません。どんなに未信者がキリスト教に好意的であっても、救われる信仰に至ることなどありえません。罪人が信仰を持つにはみことばが語られなければなりません(ローマ10:17)。みことばを聞くチャンスを、教会やキリスト者個人が提供しなければならないのです。だからと言って押し付けではよくありません。公の場所での福音提示ではなくむしろ知恵を尽くして個人的関係の中でチャンスを見て語るのです。

ある人たちはまだその時ではないと考えているかもしれません。でも、あるところではイエス様を信じる人たちが起こっているのです。ですから宮城県内がどのような霊的状態なのかを分かち合うネットワークが必要です。もし、県内のある地域で霊的な収穫がよくなされているなら、ほかの地域でも同様な刈り入れを期待することができます。私たちはあまりにも不毛な地域で伝道してきたので、そのトラウマが大胆な伝道を妨げてきたかもしれません。でも、ネットワークの関わりでよき情報を得ることができるなら、この時が伝道の時と悟ることができるでしょう。

ある有名な牧師がこんな話をしていたのを思い出します。サーファーは良い波を作り出すことはできない、サーファーは波を待たなければならない。良い波に乗る時、サーファーはよいサーフィンができるのです。良い波を見過ごしてはいけないのです。

今、被災地において何もかも破壊した津波ではなく、罪人を救う霊的な恵みの波がわき上がっています。この波に私たちは乗らなければなりません。もっと良い波が来るかと待つこともできるでしょう。しかし、乗り遅れたら指をくわえるだけです。そうならないようにネットワークによって霊的な波の情報を分かち合い、手をつないで伝道していかなければならないのです。

1%の壁は必ず破られる

恵泉キリスト教会 牧師 千田 次郎

1996年に、山形で最初の教会増殖ネットワークの試みが始まったとき、ボブ・ローガン師より、この働きは将来日本全国に広がることがビジョンであると告げられました。その時、ローガン師は、ネットワークが全国に広がった時には、山形で最初に関わった五つの教会の主任牧師たちが、バルナバ役として全国どこにでも無報酬で奉仕するように、とチャレンジして下さいました。当然私たちはそのチャレンジに、「ハイ。」と答えました。何とその後、次の教会増殖ネットワークが、北海道と沖縄で同時に始ったのです、ローガン師のビジョンを受け継いだ牧師たちが、二人ずつチームをつくり、北海道と沖縄にバルナバに出かけて行くことになりました。2002年から2004年の3年間、北海道と沖縄間を超特割りの航空券を使い、北海道に行った足で沖縄に、あるいはその逆のコースで集会の日を一日ずらして移動したのです。

三年間、上空から日本列島を見続けました。その時、必ず神様がこの日本を祝福してくださり、教会増殖のネット(網)を日本全国にかけてくださり、あちらこちらの町や村に教会を生み出してくださると言う確信が与えられました。このビジョンの中で教会増殖ネットワークの働きは進んでおります。このビジョンの実現のためには、ネットワークが、さらに次のネットワークを生み出すことが必要です。また、ネットワークに関わった先生方の中から、次のネットワークのバルナバ役として奉仕してくださる先生が起こされることが求められています。

ある教会で「皆さんの教会はどこにありますか?」という質問をしました。「皆さんが教会堂に集まっているこの時は『教会はここにある』わけですが、皆さんが帰ったら教会はどこにありますか?」とさらに聞きました。「ここにあるのは教会堂があるだけで、ここには教会はないのです。皆さんが帰っていったら、皆さんの家々、町々、そこが教会です。そこに神の教会、神の家族共同体を生み出すために一週間の歩みへと遣わされて行くのです。その自覚を持つことが大切です。それぞれの家々、町々、働いている職場、学んでいる学校、そこにイエス様を中心とした神の家族共同体ができていくのです。そこで本気で生きる、その地を祝福して行く、学生なら一生懸命勉強する、職場でなら誰にも負けない仕事をする、そしてそこに祈りのグループ、神の家族共同体を作っていく、主が『ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。』と言われるように、そうして教会が至る所にできていくのです。」

そのような訓練ができていたら、誰かが他の地に移動したときには、そこに教会ができていきます。どんどん派遣して、至る所に教会が生み出されるようになるのです。今日のこの集会のために、主にみ言葉を求めました。主は次のみ言葉をくださいました。

まことに、あなた方に告げます。もし、からし種ほどの信仰があったら『この山に、ここからあそこに移れ』と言えば移るのです。どんなことでもあなた方にできないことはありません。(マタイ17:20)

「この山」すなわち、クリスチャン人口1%の壁(orギャラップ調査では6%)を破ろう!
教会数が、日本のコンビニの店舗数(約40,889店舗)のように生み出されることを願い
まず最初の段階として

「ここから」クリスチャン人口1% 教会数8,000教会から、

「あそこに」クリスチャン人口10% 教会数40,000教会へ移れ!と祈っていきましょう。

教会増殖ネットワークは、日本中に福音を満たし、神の家族共同体を生み出し続けていくための、助けあい、励ましあいのネットワークです。ぜひ皆さんの地域でもチャレンジしてみませんか。

7000人教会ビジョンによる導き

塩釜聖書バプテスト教会 牧師 大友 幸一

1984年の4月に東塩釜地区の開拓伝道に母教会より遣わされました。その時与えられたみことばが「バアルにひざをかがめていない男子七千人が、わたしのために残してある。」(ローマ11:4)でした。ところが間もなく母教会の牧師は転任し、教会は弱体化し、開拓途上で母教会に戻らなければならなくなりました。その後、このみことばを忘れたまま、母教会の建て上げに集中するようになりました。弟子訓練のプログラムを取り入れ教会は祝福され古い会堂を1999年に建て替えました。その建て替え中に川崎廣師が私を東北地区の研修に招いてくださいました。その研修の中で今までうっすらと描いていた「7000人教会のビジョン」が確立しました。しかし、教会の成長はかんばしくなく、忍耐しながら信徒訓練を続けてまいりました。弟子訓練のゴールは派遣であるとの確信をいただいていましたが、それを具体的にどのように進めていけばよいのか思いあぐねていた時、千田次郎師にネットワークによる教会増殖のプログラムに招いていただき、4つの「家の教会」をスタートさせることが出来ました。

「家の教会」のモデルは聖書の使徒時代です。専門的な働き人や特別な集会所を必要としない「家の教会」が当時の地中海世界に多数、産まれたことによってその存在をローマ帝国は否定できなくなり、ついにはキリスト教を受け入れざるを得なくなったことは歴史が明らかにしていることです。7000人教会のカギはこの「家の教会」が握っているのではないかとの仮説を立て「家の教会」の研究を始めました。そして当教会のみならず宮城県において効果的な開拓伝道は「家の教会」を産み出すことだとの結論に導かれました。

私たちの教会の2010年度は4つの「家の教会」の自立に向かって開拓者たちの奉仕を見直し、「家の教会」中心になるよう体制を整えることでした。そして、この4月から実行しようとしていた矢先に東日本大震災が起こって2つの「家の教会」が津波で流されてしまったのです。どうして開拓伝道している家が流されたのか、一生懸命伝道していた人たちがこのような被害に遭ったのかは分かりませんが、開拓者たちはこの試練の中でもへこたれることなくますます宣教の使命に燃えています。亘理は6月には新しい家と70坪の駐車場を手に入れました。新興住宅地に住むことになった彼らは効果的な伝道を展開するために現在、町の様子や人間関係などを良く調べています。仙台港南は仮の住まいとして仙台市中心部のアパートに住んで今まで関係のあった求道者を支援物資を持参して訪問したり、月数回の集会を開いて「家の教会」を継続しています。

「家の教会」は建物によりません。家の教会は開拓者がいればいつでもどこでもスタートできます。今回の大震災は宮城県の海岸の町々村々に多大の被害をもたらしました。これまで教会が少なく省みられることのあまりなかったこの地に全国、いや全世界からたくさんのキリスト者、キリスト教会、様々な教団、いろんな団体が支援物資を届け、ボランティアを派遣してくださっています。その資金と労力は相当なものでしょう。そしてそれらは東北人の堅い心を開きつつあります。すでに福音を受け入れた人もいます。各地にそのような信仰の芽がめばえつつあります。間もなく何箇所でもそんなことが起こってくると予想できます。その場合、これまでの開拓伝道のように専門の働き人を雇い、集会の建物を準備してからではその時期を逃してしまうかもしれません。

それで宮城県をいくつかのブロックに分け、「家の教会」ネットワークによる教会形成が必要になってくると思われます。「家の教会」は既存の教会に人を集めるのではなく、現地で救われた人を教育し、その人の家に教会を産み出していくものです。そのためには救われた時から「あなたの家が教会になるのです。そしてあなたは近くにもうひとつ教会を産み出すのです。」と折にかなって教えていかなければなりません。また、「家の教会」はその小ささのゆえに孤独にならないようにネットワークを大切にし、できることなら近所に住むキリスト者、教会を決して無視しないように励まさなければなりません。

現在、宮城県内のプロテスタント教会は136教会、教会員数約6700名、礼拝出席者数約4000名です。7000人教会のビジョンをいただいた当教会がこのビジョンを達成するには先ずは宮城県内で7000名にならなければなりません。宮城バプテスト協議会には14教会(礼拝出席者数650名)が所属しています。協議会の中にはすでに20数名の伝道熱心な教会員が自分の家を開放して伝道の拠点にしたいと考えています。そのような人達と被災地で救われた人々がネットワークを組み、各地に「家の教会」をスタートさせるなら遠からず「家の教会」は既存の教会の数をしのぐものになるでしょう。

当教会のビジョンの始まりは開拓伝道者の個人的なものでしたがそれが教会のビジョンとなり、そのビジョンにより仙台市東部地域の超教派のグループ形成(ゴスペルファミリー、10教会)がなされ、大震災によって宮城県を覆うものに導かれてきました。7000人教会は先ずは宮城県全体で達成され次にゴスペルファミリーで達成され、最後に当教会で達成されるのです。

信徒主体の「家の教会」による開拓伝道は被災地でもっとも多くの魂を獲得する聖書的な方法ではないかと思います。